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なじょしてる通信 №214

№214 2011年10月29日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


小高工高、小高商高 南相馬市に仮設校舎
 現在、県立小高工業高校と県立小高商業高校は相馬市仮設校舎や県内に散らばってサテライト校などで授業をしている。
 1箇所に集中した仮設校舎対応を検討していた関係機関は、南相馬市に移転することで、最終調整に入っています。
 その概要は、次のようになっています。
 1.移転の内容
    小高工業高校 仮設校舎2棟
   小高商業高校 仮設校舎1棟
 2 .移転の場所
    南相馬市サッカー場(原町区高見町1-5)⇒新田川のすぐ南で、6号国道のすぐ東側
 3.スケジュール
    1月上旬に仮設校舎の工事着工
    2012年4月から、新場所での高校再開

一の一般質問③ 
 私の一般質問は、9月13日に行いました。内容の要旨の続きの続きです。

戻れることを確信できる警戒区域の復旧・復興計画を
農地を含む産業基盤の復旧は
【質問】農地、農業用施設や、工業基盤の復旧をどうするのか。
 その被害実態すら、よくつかめていない。被災実態を調べ上げ、復旧の具体的計画を示しておくことが必要だ。
【答弁】農地は、除染対策等多くの課題がある。
 当面は、防波堤や湛水防除施設の復旧を最優先に進める。農地等の生産基盤は、地権者と相談して復旧計画を構築する。
 工業関係は、地震・津波の被害は少ない。放射線量が低い地域は、操業再開を認める警戒区域の見直しを国に要請している。
【質問】調査状況、具体的計画を今時点から市民に示しておくことが大切だ。

道路、ライフラインの復旧は
【質問】 道路、上下水道、電気のライフラインは、警戒区域が解除になった後、何日で復旧することができるのか。
 その見通しを市民に示しておくべきだ。
【答弁】 現在、市職員で被害調査を進め、応急補修が必要な所は、計画的実施を準備している。
 国、県は災害査定等を実施しておらず、予定も示されていない。
【質問】 電気、上下水道を含め、警戒区域解除後は何日で復旧できるのか、市民に示しておくべきだ。
【答弁】 上下水道の末端までは、6ヶ月程度を要する。道路は調査中だが、解除後は速やかに復旧に入れるように設計等の準備をしていく。

放射能汚染からの復旧は
実態調査と汚染マップの住民周知は
【質問】 9月1日に、警戒区域の放射線量調査結果が文科省・経産省から発表されている。しかし、傾向が分かる程度に過ぎない。
 毎日住み続けることになる住宅、宅地の詳細な実態、農地、森林の線量と汚染の実態、河川や地下水の汚染の実態は、知らされていない。
 今の時点から調べ上げ、住民に周知することが必要だ。
【答弁】 地下水を含め、市独自にも調査をしてきている。
 調査結果を市民に分かりやすく、見やすいマップを提供するようにしたい。
《以下、次号に続く》

なじょどがしたい 3月16日  塚原のMさんの家族が行方不明。草加市に住むMさんの兄弟も捜索に来ていた。
 しかし、20㎞圏内の立ち入りもできず、ガソリンが無くて草加市に帰ることもできず、原町区内のホテルに身を寄せていた。
 ホテルに行って状況を聞いた私は、二本松市に住むJA職員の友達に電話をかけた。
 何とか2,000円分ガソリン券を譲ってもらうことが可能となった。Mさん一行は草加市に向かった。
 後ほどMさんから連絡がありました。二本松のJAガソリンスタンドでは、Mさんが来るまで閉店せずに待っていてくれた。少し余ったのでと、ガソリン40リットルを入れてもらったとか。無事に草加市に到達できたとのこと。

 とにかく、ガソリンが無い。避難を呼びかけても、動きがとれない人がたくさんいる。
 国レベルでの対応で、20キロリットルタンクローリー4台分のガソリンが手配できた。
 しかし、一難去って、また一難。東京から本市に向かったはずのローリー車は、郡山市のトラック団地でストップしていた。これ以上は1mも前に進まないという。

 「放射能汚染地区には、近づかない。」と東京からの運転手が主張。危険物取り扱いの資格者と、大型けん引免許を持ってる者が来れば、車ごじら渡すという。
 対策会議で市長が、「誰かいないか。」と叫ぶ。心当たりの市内有資格者は、すでに避難していて手配が付かない。
 私は即刻「何とかなる。」と応えた。

 会津若松市のチイ子さんの実家に避難している小高区村上の坂本廣さんは、ありとあらゆる資格を持っている。坂本さんに何とか携帯電話がつながった。
 危険物取り扱いの資格も大型けん引免許もあるという。事情を話したところ、即、引き受けてくれた。
 そうこうするうちに、新たな運転手は田村市から手配ができた。しかし、危険物の資格者はいないという。やっぱり坂本さんの出番だ。
 さらに一難。坂本さんは避難するときに、家族と合流した原町区上北高平の青田酒店に車を置いてきており、その車に資格証が入っているという。

 青田酒店の駐車場に、坂本さんの軽乗用車は確かにあった。でも、鍵がかかっている。
 なんどもなんども携帯電話をかけるが、つながらない。15分後、つながった。もう坂本さんは、危険物資格証コピーのファックス受信を、会津若松市役所湊支所で待っているという。車のキーは、会津にあるという。

 青田酒店の周辺を物色したところ、鉄骨でできたへんてこな枠を見つけた。軽乗用車の一番小さな窓ガラスを枠で打ったが、なかなか割れないものだ。3度目に割れた。
 分厚い資格証等の束の中から危険物取り扱い者証が見つかった。
 市役所に戻り、すぐにファックス送信。経済部長に報告。その際、軽乗用車の窓ガラスを割ったことも報告した。修理代は自腹を覚悟していたので、修理代のことは口に出さなかったのだか、部長から「市で修理代を持ちます。」と、返事が返ってきた。

 私も応援して、各ガソリンスタンドにガソリンを入れ終わったのは、深夜11時過ぎ。雪がちらつく寒い中での作業で、身体は冷え切っている。
 無事に任務を終えた坂本さんを、会津若松市に送っていかなければならない。
 八木沢峠の手前まで行った時に、市長公室から電話が入った。タンクローリー車の運転手を郡山市まで送っていって欲しいというもの。運転手たちは夏タイヤを承知の上、命がけで雪道の八木沢峠を降りてきていた。空荷になったローリー車で八木沢峠を登るのは無理だと判断していた。私は市役所に引き返した。

 郡山市までの車中で、運転手の皆さんからいろいろと話しを伺った。
 ある方は南相馬市に行くということで、家族と水盃を交わしてきたという。
 けん引運転免許は持っていたが、けん引車を実際に運転したのは始めてだった方は、八木沢峠で・・・・・。
 彼らの強い使命感に、心から敬意を表する。

 会津若松に着いたのは、午前3時近く。居間のコタツに足を突っ込んで、多くの人が寝ていた。坂本さんと私は、何とか隙間を見つけて眠りに付いた。

 17日に、無料でガソリンを入れた車は、5,000台。
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なじょしてる通信 №213

№213 2011年10月15日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


小高病院なくす 既定路線か! 前号で、小高病院を無くしてしまう「地域医療再生計画」が福島県に提出されていることを報じました。
 でも、この計画は今後の協議で撤回させることもあると思っていました。
 しかし、そんな生易しいことではないことが分かってきました。

最初からあきらめ
 10月7日に開かれた議会全員協議会で示された「南相馬市組織機構改革(素案)」の中で、『病院の再編』の項があります。
 そこには「小高病院については、地域の実情及び医療スタッフの確保等を考慮すると、単独での再開が難しい状況になっていることから、総合病院と統合します。」と明記されています。
 小高病院をなくし、小高病院の99床のベットは市立総合病院に召し上げると言うものです。 
 「警戒区域である」、「警戒区域が解除されても戻る住民が少ない」、「医者がいないのだからしょうがない」の前提に立った、あきらめの方針、小高を突き放す方針です。

小高に戻る環境つぶし 
 このまま原発事故が収束すれば、いずれ小高区の警戒区域は解除されると思います。
 しかし、解除されても小高区での生活が、簡単にもどるわけではありません。
 生活圏や土壌、地下水などの詳細な放射能汚染調査と除染、上下水道や電気のライフライン、湛水防除施設等々の復旧が必要です。
 同時に、医療や教育環境を以前に戻していくことが不可欠です。
 小高病院を再建することは、絶対に欠かすことのできない戻るための条件整備です。

;">「小高病院なくすな」の声を大に 病院を無くさないためには、全ての小高区民が、声を大にすることです。

その上 小高区役所大幅縮小
 「南相馬市組織機構改革(素案)」では、区役所の再編にも乗り出しています。
 これまでの地域振興課、税務課、市民生活課、健康福祉課、産業課、建設課と地域教育課の7課体制から、地域振興課、市民福祉課、産業建設課の3課にしてしまいます。
 区民に寄り添ったきめ細かな行政対応ができなくなる心配があります。そして、多くは「本庁に行って下さい。」になってしまう恐れが強いものです。
 震災・原発事故から「住民の命とくらしをどう守るかの道」からは、ほど遠いものです。
 震災・原発事故に便乗した「市民泣かせの市政」を歩もうとしています。
 とんでもありません。

一の一般質問
 私の一般質問は、9月13日に行いました。内容の要旨の続きです。
戻れることを確信できる
 警戒区域の復旧・復興計画を

【質問】警戒区域は
 警戒区域の対策が、南相馬市全体のものになっていない。執行部全体のものになっていない。一部の部署に方針も対応も任せきりになっている。
【答弁】各部署の調整をしながら進めている。
【質問】それが見えていない。

警戒区域の復旧は(排水対策)
【質問】湛水防除施設、河川などの復旧を急ぎ、排水対策を整えておくことが重要だ。井田川は大正時代以前の「浦」以上の湛水状態となっており、その上流部も湛水状態に今現在ある。
 警戒区域にあった5箇所の湛水防除施設は、津波で甚大な被害を受けた。壊滅状態のものもあるが、復旧が可能ではないかと思われる施設もある。
 復旧可能な湛水防除施設を、早急に復旧すること及び、壊滅となった施設の代替施設の建設にすぐにでも着工することが求められる。
 このことをぬきに、他の復旧にも手が出せないことが多い。
【答弁】排水対策を国、県に何度も求めているが、対応されていない。
 早急な対応が必要なので、国、県に引き続き要請していく。

警戒区域の復旧は(住宅・宅地)
【質問】津波で多くの集落、住宅が壊滅した。従前居住地に住宅を再建することは防災上困難であり、先の臨時議会で、災害危険区域の指定をした。
 この指定は、スタート台に過ぎない。
 詳細な指定地をどこにするのか。集団移転先をどこにするのか、従前居住地の買い上げ価格はいくらになるのか。移転先の土地価格はいくらになるのか。公営住宅の建設はどうなるのか。これらは同時に、速やかに協議が進まなければならない。
 警戒区域の方々に、いち早く示していくことが必要だ。
 今すぐに具体的協議を始めることが必要だ。
【答弁】地元行政区と十分協議を重ねていく。

【質問】警戒区域の方は、戻れないのではないかとの不安が強くなっている。自分たちが戻れるところがあるということをきちんと伝えていくことが必要だ。
《以下、次号に続く》

なじょどがしたい 3月15日
 3月15日早朝、会津若松市のチイ子さんの実家から、平田議長とともに南相馬市に戻った。
 帰市途中で聞くNHKラジオからは、とんでもない地震と津波、原発の事故があったのにもかかわらず、クラシック音楽が悠長に流れている。
 深刻な事態が近づいていることを予感した。

 午前11時からの菅総理大臣の国民向けメッセージ、引き続いて枝野官房長官メッセージは、役所建設部のテレビで視聴した。
 20~30㎞圏内は「屋内退避」の指示。しかし、メッセージの最後に「距離が離れているほど、影響は少ない。」と言っていた。避難命令ではないものの、避難すべきことを暗に言っている。
 このときから、南相馬市の避難大作戦は始まった。

 午後1時から議会全員協議会のはずであった

 が、14名しか集まらない。出てきた議員も、それぞれの対応と暗に示された避難指示で、浮き足立っている。若干の状況を報告しあっただけで、解散。

 この日は、どこで寝たのか。
 41人所帯のチイ子さんの実家に、当座の灯油と食料を運んで泊まったのか。
 平田議長宅に止まったのか?
 ノートの記録は無い。記憶は飛んでいる。
 手帳には後日記載したと思われる「小高区役所泊」とあるのだが、信じがたい。

なじょしてる通信 №212

№212 2011年10月 8日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


敬老会 中止
 例年、敬老会は9月に開催していました。
 今年は、会場の状況や原発事故による避難の状況から、11月開催で検討をしていました。
 各区で開催についての検討をしましたが「開催できる環境にない。」との意見が多数を占め、今年は見送ることになったそうです。
 やむを得ないと思う反面、こんなときだからこそ交流をかねての開催があってもと思いますが?

警戒区域解除後も 小高病院再開はなし  
 市は、「地域医療再生計画」を検討しており、9月中旬に福島県に対して計画事業内容が提出されていることが分かりました。
 その中では、「南相馬市立病院(230床)の敷地内に南相馬市立小高病院(99床)を移設し、放射線被曝研究機能、放射線治療機能、脳卒中センター機能などをもつ施設を整備する。」とされています。
 放射線や脳卒中対応策は望むところですが、小高病院の移設を条件にすることは、大問題です。移設してしまえば、警戒区域が解除されても小高病院にベットを戻すことはできず、病院再開はあり得ません。
 小高病院廃止後の対応策は、何も検討されていないようです。
 この内容は、私や今村議員等と民間病院関係者との懇談の際に分かりました。小高の市民はもとより、議会・議員にも、小高地域協議会にも何も知らされないまま進められており、計画はすでに県に提出されています。

議会に説明を要求 
 情報を入手した小高出身議員4名(竹野議員は別途予定が入っていたため欠席)は、10月3日に緊急に協議し、7日に開かれる議会全員協議会で説明するように、議長に手配を求めました。
<以上、10月5日記。その後の状況は、次号以降でお伝えします。>

一の一般質問①
 私の一般質問は、9月13日に行いました。内容の要旨は、以下の通りです。

戻れることを確信できる警戒区域の復旧・復興計画を
【質問】原発事故は、なお収束の見通しが立たず、被害は我が南相馬市はもとより、全国に拡大する深刻な事態が続いている。
 地震、津波での被災、原発の被害を受けたすべての方々に、安心と希望の持てる生活が1日も早く訪れるように、私はみなさんと力をあわせて被災者・被害者支援、復旧・復興の取り組みに、引き続き全力を尽くす決意を、表明いたします。
 原発事故の危険性について、あらためて言及する。
 原発事故には、他の事故には見られない「異質の危険」がある。ひとたび重大事故が起こり、放射性物質が外部に放出されると、もはやそれを完全に抑える手段は存在しない。
 被害は「空間的」に、どこまでも広がる危険があり、現に放射能による汚染は、日本列島の各地に深刻な打撃を与えている。
 さらに被害は、「時間的」に、将来にわたって続く危険がある。特に子供たちへの健康被害が強く懸念される。未来を担う世代の命と健康を守るために、あらゆる手立てを取ることが、強く求められる。
 その上被害は、「社会的」に、地域社会の存続を丸ごと危機にさらしている。我が母校、福浦小学校校歌に歌われている「海は濃みどり 小山はしげる 畑も田んぼも豊かな実り ここは浦里われらの故郷」は、原発事故で一瞬にして奪われた。突然に避難を強いられ、避難を強いられ続けている。すべての南相馬市民は、無念と怒りに満ちている。
警戒区域では 
 その中でも、警戒区域に住んでいた市民は、中心にある。
 しかし、その警戒区域の対策は、ほとんど見えないと言っていい。当面、市民が住んでいるところ、近々全面的に住めるであろう緊急的避難準備区域に、多くの力を注ぐことは、当然だが、それは警戒区域をほったらかしにしていいということではない。警戒区域に住んでいたはずの市民にとっては、そのように受け止められている。
 状況がわからない。情報が少ない。原発がいつ収束して、いつ戻れるか見えない。ライフラインはどうなっているのか。津波のときよりも水が多くなっているという。
 見通しと展望が見出せないまま、長引く避難生活に耐えていくことにも、限界がある。
 日に日に「もう戻れない。」とあきらめる人が増えてきています。
市長の姿勢を示せ
 第1の質問です。全国に散らばり、長期避難を強いられている警戒区域とさせられた市民に、希望を与えなければなりません。進むべき道筋を示す必要がある。何としても戻って、3月11日前の生活に戻していくとの、市長としての、南相馬の姿勢を示していく必要がある。
【答弁】 調査中、精査中だ。

警戒区域として遅れを容認?
【質問】警戒区域は、市民の全てが避難させられ、復旧すら緒についていない。
 しかし、警戒区域が解除されたその時には、復旧・復興のトップギアに入っていることが求められる。その姿を、その路線を市民に知らしめておくことが必要だ。
 「警戒区域だから、スタートが遅れるのはやむを得ない。」として、遅れを容認していると受け止められる。
【答弁】 国土交通大臣と協議しながら、対応策を順次進めている。

【再質問】警戒区域市民に見えていない。
【答弁】今後、お知らせをしていく。

《以下、次号に続く》

なじょどがしたい 3月14日
 3月14日午前6時、小高区役所ロビー床から起床。下着を替えたく自宅に向かう。途中の道にも、自宅も無人。
 宮田川の海口閘門が閉じられままと見られる。津波直後よりも水位が上がってきている。
午前7時から小高区役所で「区役所撤収」の打ち合わせ。議員は、私一人だけ。
7時50分、小高区役所撤収。
8時、陸上競技場南側信号機交差点で、警察による検問。
私はこれ以後毎日、市役所に詰めるようになりました。チイ子さんから初めて℡あり。会津若松の実家に避難したとのこと。

市役所の屋上に自衛隊が大きいアンテナを立て始めました。屋上に出る小部屋には、古い木製の机があり、議員などの喫煙用の灰皿などが備えてあります。ところが机には、自衛隊の無線機が据えられ、2人の隊員が無線中継の任に当っており、占領されてしまいました。
(ここは、3月15日分:15日の朝、喫煙に行くと、無線機だけ置いてあります。無線機は役に立たなくなって、放置してあるのか? 疑問に思って、指紋が付かないようにライターでスイッチを押してみました。無線機はランプが付き、メーターが動き始めました。無線機は生きています。あわててスイッチを切りました。)
 後に分かったことですが、14日夕、自衛隊員は階段を駆け下りながら「逃げろ、逃げろ!」と大きな声を出しながら、市役所から飛び出していったそうです。自衛隊の車両が、赤色灯を点け、サイレンを鳴らして何台も何台も西に向かっていったそうです。自衛隊員のパニックをまともに見た職員のごく一部は、不幸にも2度と市役所には戻ってきませんでした。

 14日の夜は、平田議長宅に泊めてもらうことになりました。
 議長宅では家族は避難していました。議長は取り急ぎ夕食の準備を始めましたが、その間「一杯やっていろ。」の指示あり。私は4日ぶりのお酒を一口飲み「んーーー」と唸った直後、携帯電話が鳴った。
 お願いしてあった「町のT女史を確保できた。」と市役所からの連絡。T女史は籠城を決め込んでいたものの、私の伝言を市役所職員から聞き、脱出を決意してくれた。
 市職員に議長宅に送ってもらったものの・・・・。私は、T女史が役所車から降りる前に、「議長、私は少し飲んでしまったので、私の車を運転してくれないか。」と、お願いした。「オー」の即答。
 会津若松市のチイ子さんの実家に着いたのは、夜10時過ぎ。
 会津の実家は大きい家ではあるものの、人々で所狭し。我が家族も含め、身を寄せた避難者は36人。実家宅を含めると、総勢41人になっていた。

なじょしてる通信 №211

№211 2011年10月 1日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


緊急動 原発賠償手続き意見書
 9月12日から東京電力の原発事故損害賠償の請求手続きが開始されましたが、多くの市民から不満が寄せられていました。
 議会最終日に議員提案による「原発被災損害賠償手続きに関する意見書(案)」が提出され、全会一致で議決されました。
◎ 意見書の要旨 
 損害賠償請求書は、建物、土地などの財産価値減少や除染費用賠償が明記されておらず、請求書・説明資料が膨大であり、被災者に多大な労力を強いる内容である。
 その上、領収書原本提出を求められ、後に泣き寝入りの原因になりかねない。さらに、加害者である東京電力が被害者に対して金融機関に情報開示を認める同意書提出を求めたり、請求は1回限りとするなど、とうてい被災者の立場に立ったとは言いがたい。
 よって国は被災者救済の原点に立ち、東京電力に対して下記の指導をすることを強く要請する。
        記
1.原発被災損害賠償請求手続きは、もっと簡略化すること。
2.同意書にある金融機関等の情報開示は求めないこと。
3.「同一補償対象期間における各補償項目の請求は、1回限りとすること」の確認事項を削除すること。
4.原発被災損害賠償手続きは、被災者の立場に立って行なうこと。
提出先:内閣総理大臣、文部科学大臣、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣

南相馬市原発建設方針 具体的に踏みだす
 9月議会閉会直後の議会全員協議会で、「南相馬市の原子力発電所等に関する方針」が示されました。これまでの市長発言などを整理したものですが、浪江・小高原発建設中止や県内全ての原発の廃炉を求めるなど、具体的方針を明確にしています。
 以下、その要旨です。
浪江・小高原発は建設中止
 今回の原発事故により、原子力発電の安全神話が崩壊し、合併協定項目に記載されている「地域住民の安全確保と環境保全」が保障されなくなった。このようなことから本市としては、新たな原発建設を認めないこととし、現在計画されている浪江・小高原子力発電所についても建設中止を求めていくこととする。
福島第一・第二は廃炉を 
 本市として脱原発を明確にするため、福島第一原発事故の早期収束及び福島第一・第二原子力発電所内で運転を停止している原子炉についても速やかに廃炉に向けた対応を強く要望していくこととする。

議会では踏みだせず!
 南相馬市が内外ともに脱原発を明らかにし、浪江・小高原発建設中止と県内原発全炉の廃炉を求めていくためには、議会の意思も明確にしていくことが必要です。
 議会としての意思は、「1973年の小高町議会での『原子力発電所誘致決議』があり、合併協定で『新市においても現行どおり引き継ぐ・・・』がある。」ことから、原発誘致は生きていることになります。
 9月議会に提出された「県内全ての原発を廃炉とし、浪江・小高原発予定地は自然エネルギー基地に転換することを求める『陳情書』」は、継続審査となり、結論が先送りにされています。
 議会として、市民の思いを明確に示していくことが、早急に求められています。
 竹野光雄議員の「議会は意思を示していない。補助金が減ることへの対応をどうするのか。」などと、本質を踏みはずしているとしか思えない発言には、驚きました。

なじょどがしたい 3月13日
 3月13日、小高赤坂病院の事務長が小高区役所に来て行ったと聞きました。「避難しようにも、行き先も行く手段もない。何とか市での対応・援助を求める。」というものでした。区役所では、「なんともならない。」と苦渋の返答をせざるを得ませんでした。
 3月14日、私と竹野議員で赤坂病院に出向き、病院長と会いました。「行政の力では、今は避難をさせる手立てがない。自力で脱出してください。それまでの間、不足するものだけでも、手配します。」と、伝えるのが精一杯でした。
 区役所に戻った私は、ありったけの物資を赤坂病院に届けるので、用意するように頼みました。
 ダイユーエイトにあった大量のペットボトルの水は、津波で外側が汚れましたが、全て区役所でいただいていました。区役所職員が寒さの中で全部きれいに洗ってくれました。
 ペットボトルの水、米、缶詰、カップめん、紙おむつ等々、2台の車を山にして赤坂病院に届けました。「何とか、これでしのいでください。」と言うのが・・・・・・。

 後日、聞きました。赤坂病院の患者は、東京都立松沢病院などに全員無事に避難したということです。しかし、その何日か後にお亡くなりになった方もありました。後移送中の体力消耗が激しかったと思うのですが。

 3月12日と13日は、小高区役所のロビーの床に防寒着を着たまま寝ました。大型テレビをつけっぱなしで。
 その間、チイ子さんたちは、どこにどう避難したのか全く分かりませんでした。
プロフィール

watanabekaniti

Author:watanabekaniti
▼1953年(昭和28年)
耳谷生まれ 57歳。
相馬農業高校農業科、福島農業短期大学農業科卒業
▼資格 農業改良普及員。 
▼福浦農協、小高町農協、そうま農協で営農指導員として勤務し、4年前に退職。
▼1972年豊かな農村を創りたいと願い、日本共産党に入党。
小高町連合青年団事務局長 
県農協労連副委員長を歴任。 
▼町・市議会議員30年。

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