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なじょしてる通信 №222

№222 2011年12月25日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


ステップ2完了に異議
 野田首相が16日、原子炉は「冷温停止状態」に達し、事故そのものは「収束」に至ったと宣言した。
 とんでもない。
 原発事故から9ヶ月、原発はいまだに炉心の状態さえつかめず、汚染水など放射性物質の放出も止まりません。私たち住民には故郷に帰る展望さえ示されていないのに、口先だけの「収束」で安心できるわけがない。

事故収束には程遠い 
 「冷温停止」とは本来、正常に運転している原発が、徐々に原子炉の温度を下げ停止することだ。圧力底部の温度が100℃以下などという勝手な条件を持ち出して、「冷温停止状態」を目指すとしてきたこと自体がごまかしだ。
 内部がどうなっているかは、わかっていない。
 原子炉の中では高温で燃料棒が溶け、溶けた燃料は圧力容器から外側の格納容器まで落ちているとみられる。
 原子炉からは、空中や地下への放射性物質の放出も続いている。私たちが脅かされる状態は続いている。
 仮設の汚染水タンクやパイプが破損し、汚染水が漏れるなどの事故も後を絶たない。
 首相はいったい何を根拠に、何のために、「冷温停止状態」と急いで発表し、「収束」と宣言したのか。
 重大な事故から国民の目をそらしたい、東京電力の意向に沿っているのは、明らかだ。事故の深刻さを国民の目から隠し、全国の原発の再稼動に弾みをつける思惑があるとしか思えない。
 原発重大事故を終わらせるためには、炉を冷やし続けながら、燃料棒を取り出し、原発そのものを解体していくという、長い道のりがある。
 その入り口に立ったとさえ言えないのに、「収束」を口にするのは全く無責任だ。

いつになったら帰れるのか
 私たち市民にとっては、いつになれば本当に安心して帰れるかが大問題としてある。
 国が責任を持って除染などを行い、東電に被害を全面賠償させるのは当然だ。
 しかし、肝心・不可欠なことは、原発は今どうなっているのか、対策はどこまで進んでいるのか、正しい情報を包み隠さず伝えることだ。

収束宣言より究明を 小池政策委員長発言
 日本共産党の小池晃政策委員長は17日、「みのもんたのサタデーずばッと」に出演した際に、次の発言がありました。

 生死をさまよう病気の人が、原因もわかっていないのに「熱が下がったから大丈夫だ。」といわれても、安心できない。
 今やるべきことは、「大丈夫」宣言ではない。原子炉がどうなっているかの究明だ。


賠償相談窓口を市役所に 
紅梅ふれあい会が市長交渉
 紅梅ふれあい会(齋藤幸子会長:会員86名)は20日、市長に「要望書」を提出しました。『市役所に市民目線での東電損害賠償相談窓口の設置』を求めるものです。
 市長は、「市役所がメインになるべきだと思っている。市民が一本化になっていなかった。」「検討して、みなさんに応えられるようにしたい。」と、応じました。
 要望書提出には、小高区出身の全議員が同席し、立ち会いました。

 大きな前進だと思います。しかし、今まで議会などで再三『役所に相談・支援窓口を設置せよ。』と求めていたのに、実質的には応じてきませんでした。ここでようやく事の重要性に気づいたのでしょうか?

なじょどがしたい 3月24日
 3月24日は、3月定例議会の最終日でした。11日に議会を中断したままでしたから、このままでは全ての議案が廃案になってしまいます。
 当初予算も廃案となれば、4月からの新年度は役所機能がストップすることになります。
 唯一の対処法は、市長の専決処分しかありません。

 全議員に何とか連絡を取り、24日に3月定例議会を再開することになりました。
 正午から開かれた正副議長・正副議会運営委員長(渡部一は副委員長)では、
 ・ 議会の権能が生かせる可能性があれば、最大の努力をすること。
 ・ 引き続き原発事故は危険な状況にあるものの、議会を開ける可能性が出てきたため、本来の道筋に戻す。
ことが、確認されました。

 13時30分、議会再開。
 冒頭に震災・津波犠牲者に対して黙とう。
 当初予算関係議案のみ、質問・討論なく、全会一致で可決。
 他の議案(条例改正や人事案件など)を残し、休会。
※他の議案は24時をもって時間切れとなり、審議未了・廃案となった。

24日付けの私のノートに、次の一文があった。
 庁舎、議場ともに、空調で放射能が入ってくるとして暖房なし。
 背広がない議員も多く、全員がジャンパー着用。それでも寒い。
 市長は専決処分を目論んでいたものが、急きょ議会を開くことになったことに不満なのか?
 市長も職員も、執行部席には誰もいない。市長から欠席するよう命があったとも聞いた。


 この日は、今村議員から体調を崩したと連絡があり欠席となった。もう一人、T議員が欠席したが、欠席理由はいまだに私の耳には入っていない。


来年こそ良い年になるよう心から願っています
 今年は、とんでもない年になってしまいました。震災・津波と原発事故は、すべての方の人生を大きく狂わせてしまいました。
 心にも大きな傷を負っていることと思います。傷を忘れるわけにはいきませんが、一人では負いきれるものではありません。みなさんで寄り添い合い、力を合わせていくことが大切だと思います。
 けっして無理をしないで下さい。
 原発事故は絶対に許せません。
 大きな、とんでもない犠牲をはらっての教訓を忘れることなく、力を合わせて乗り越えて行きたい(生きたい)と思います。
 みなさん。来年こそ良い年になるよう、心から願っています。
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なじょしてる通信 №221

№221 2011年12月18日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


小高・鹿島区役所
 機能大きく低下!?
「組織機構改革」提案
 12月定例議会に「部設置条例一部改正」議案が提案されています。部の統廃合・設置が主なものですが、連動しての課の再編や、小高・鹿島区役所の再編が提案されています。
7課を 3課に
 小高・鹿島区役所の現在は、地域振興課、税務課、市民生活課、健康福祉課、産業課、建設課、そして地域教育課の7課で構成されています。
 改正後を、地域振興課、市民生活課、産業建設課の3課にするとしています。
 税務課、地域教育課は無くなり、税金や教育にかかわることは、本庁だけになります。また、健康係がなくなりますので、保健師も区役所との連携が乏しくなります。

市民サービス低下 なぜ今の時期に
本会議で質問 集中
 12日の本会議では、私や今村議員、細田、湊議員などから質問が相次ぎました。
・なぜ今なのか。被災さなか、それも全小高が避難中に。
・本庁まで出向くことになれば、鹿島・小高住民は明らかに不便になる。
・区役所の職員が何人になるかを一切明らかにしないのでは、審議にもならない。
それに対しての答弁は、意味不明とも言えるものが大半で、「なるべくサービス低下にならないようにしていく。」というのが、精一杯でした。
 不可解なのは、市長与党とは言え、改革クラブ議員からの質問が、一切無かったことです。

採決は22日
 この議案は、14日の総務常任委員会で審議された後、12月22日の本会議で採決されます。
 ぜひ、意見を寄せてください。

原町斎場の指定管理者は
 市直轄だった原町斎場は、昨年4月から民間での指定管理者の管理に移行していました。
 この期限が来年3月で切れることから、12月議会で新たな指定をするための議案が、提出されています。
 応募者は2者ありましたが、1者は応募点数が足りなかったために、最初から1者に絞った審査での提案です。
 提案されている指定管理者候補は、「㈱相双環境整備センター:佐藤光正代表取締役」です。
 今度は、5年間の指定になります。

市長提案説明
 市民帰還人数を強調
 5日に開会された12月定例議会冒頭の「市長提案説明」では、『市内居住者数は、12月1日で42,884人となっている・・。』と、帰還をさらに促しているとも言える、説明がありました。
 しかし、本当の意味での「帰還」と言えるかどうかは疑問があります。
 避難している人が大幅に減っているとは言えないのです。応急仮設住宅に入居が進んでいるもので、自らの家に居住している人が増えているわけではありません。

 南相馬市のホームページで公表している避難の状況は下表の通りですが、市内避難所等を含めた避難者は
31,839人に及んでいます。
 震災・原発事故以前の自らの住居に戻っている方は、34,104人に過ぎません。

避難の状況(12月8日現在)
 平成23年3月11日現在の人口 71,558人

 市内居住者   自宅居住 34,104人
    市内の避難所 12人
市内の知人宅や借上げ住宅等 4,320人
市内の仮設住宅 4,483人
 計 42,919人

市外避難者 市外の避難所 109人
(うち福島県外) (104人)
市外の知人宅や借上げ住宅等 22,915人
うち福島県外 (14,038人)
  計 23,024人

死亡(震災以外の死亡含む)1,281人
その他 転出 3,883人
所在不明 451人
   計 5,615人


なじょどがしたい 3月19日 
原発事故発生から、1週間。
旧相馬女子高校舎に、多くの南相馬市民が避難している。小高区役所職員を中心に、夜を徹して対応に当たっている。

老夫婦だけで暮らしていた方、寒さもあって、疲れがひどい。
突然の避難で体調を崩し、教室の床に寝たままで、起き上がれない方。
多くの方から次々と、質問や要求が出てくる。

その中、横になったままの小高区のMさんから、訴えられた。
下半身が不自由で、車イスでの生活を強いられていたが、突然の避難のため『丈夫な一般的な車イス』だけ持ち出してきたと言う。
「校舎は段差が激しく、避難も長期になりそうなので、持ち出した車イスだけでの生活は困難だ。オーダーメイドの軽量車イスを、何とか小高から持ち出してもらいたい。」と懇願された。

 住居玄関の鍵を預かった。

 いったん市役所に戻った際、いあわせた小川尚一議員に同行をお願いした。

 これまでの議員生活で、議員であることを表明して無理を言ったことは無かった。
旧国道・鶴谷検問所で「市会議員の渡部と小川です。任務で小高に入ります。」と告げ、ここにきて初めて議員の地位を利用したことになった。

 警官は、ゲートを開け、敬礼で見送ってくれた。

 人っこ一人いない小高。車は、一台も通っていない。
停電をまぬがれた信号機だけが、忠実に機能している。信号を半ば無視して、通過。
 自販機のすべてが、開けられたままの商店がある。明らかに盗難だ。腹立たしい。

 車イスを無事確保。すぐに旧相馬女子高校舎に届けた。
 「礼は一切いらない。その分、将来、困っている人がいたら助けてあげて下さい。」と、告げた。

 それこそ多くの人が、すべての人が、困難な避難生活を強いられている。何とか無事に・・・。

なじょしてる通信 №220

№220 2011年12月11日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


お詫びと訂正
 先週号は、あっぱとっぱしてきーもんでだもんで、間違いがありました。
・ 記事冒頭の見出し「9月補正予算」とあるのは間違いで、正しくは「12月補正予算」です。
・ なじょどがしたい宮田川海口閘門③文中にある「5㎜」は間違いで、7ヶ所書いてある全てが「5㎝」が本当です。
 訂正して、お詫びいたします。

浪江・小高原発建設中止と県内原発廃炉を求める決議
全会一致で議決
 12月定例議会初日の5日、南相馬市議会東日本大震災及び原発事故対策調査特別委員会(委員長:渡部一)が提出者となって「浪江・小高原子力発電所建設を中止し、福島県内すべての原子力発電所の廃炉を求める決議」が提案され、全会一致で議決されました。

 以下は、その全文です。
浪江・小高原子力発電所建設を中止し、福島県内すべての原子力発電所の廃炉を求める決議
 南相馬市は、合併前の旧小高町において昭和48年に決議された「浪江・小高原子力発電所誘致決議」を尊重し、新市においてもその決議を引き継ぐとした。
 しかし、平成23年3月11日の東日本大震災を原因とする東京電力福島第一原子力発電所事故により、わが国の原子力安全神話は完全に崩壊した。
 この事故は、市民の命や健康を脅かし、暮らしや家族、心までも引き裂き、南相馬の豊かで美しい自然と歴史ある風土を放射能で汚染した。
 そして事故から8ヶ月を経過した現在も、多くの市民が住み慣れた家を追われ、故郷に帰れる見通しもなく避難生活を余儀なくされている。
 南相馬市議会は、市民のはかり知れない苦渋を真摯に受け止め、市民の暮らしと原発は共存できないことを言明する。
 合併協定書の電源立地については、「電力需要、社会環境の変化を踏まえ、地域住民の安全確保と環境保全に最大限留意しながら関係機関と検討する。」とあることから、今般の事故によりもはや立地を受け入れる要素はない。
 よって、南相馬市議会は、合併前の「浪江・小高原子力発電所誘致決議」を破棄し、浪江・小高原子力発電所建設を中止し、福島県内すべての原子力発電所の廃炉を求めることを決議する。
 平成23年12月5日
              南相馬市議会

 私は、提案するに当たって、次の一文を申し上げて後、提案をしました。 
ふるさとを奪われ、いつ帰れるかも分からない市民の不安。
 我らと我らの祖先が守り続けてきた土と豊かな恵みをもたらす海を奪われた怒り。
 「ふくしま」「南相馬市」と名がついただけで、避けられてしまった悔しさ。
 一生にたった一度だけの思い出すらかなわなかった、子供たちの悲しみ。
 さよならも言えず、友だちと別れた子供たちの思い。
 子どもの寝顔に「あなたを私は守れるだろうか」と語りかける親の葛藤。
 子どもを守るために、離れ離れに暮らす家族の疲れ。
 原発からの同心円直線距離だけで、差別、翻弄され、分断された市民の絆。
 筆舌にはあらわせない市民の苦しみを、私たちは見てまいりました。
 結果、敢然と本日の「決議案」を、議員全員の総意で提案することになりました。

なじょどがしたい宮田川海口閘門④
 3月27日、福浦南部地区を覆っている湛水の水位を確認。3日前から15~20㎝下がっている。5㎝の海口閘門開放でも、確実に津波水が海に流れている。

 4月1日だったか。小高区役所産業課長を隊長にして、2回目の宮田川海口閘門開放隊が挑戦した。私は同行できなかった。1回目と同様、5㎝の開放しかできない。

 操作を熟知している太田さんに電話で、詳しく状況を伝え、指示を仰いだ。
 水門に強い水圧がかかっているか、障害物が圧し掛かっている場合、ギアの破損を防ぐためにギアの回転を止めてしまうクラッチが働いていることが分かった。

 4月5日には、湛水最大深から50㎝下がっていることを確認。
 この日だったか、私と小高区役所長、自衛隊員での3回目の海口閘門解放隊が挑戦した。
 閘門の上下を何回も繰り返すうちに、うまく上がる可能性に賭ける作戦である。目標は100回の上下。

 自衛隊員が、3門の水門をそれぞれ100回上げ下げした。しかし、5㎝の上昇位置以上には、どうしても上がらない。

 作戦を終えて市役所に戻った後、海口閘門を設計施工した「東海工業」の遠藤さんと電話で詳しく打ち合わせをした。
 開閉装置の過負荷時クラッチは、取り外すことはできないと言う。
 私は、半ば本気、半ば冗談で「自衛隊が来ているので、ミサイルを撃ち込んで壊してもらうことも考えている。」と、伝えた。

 4月7日、東海工業から電話があった。「何とか方法を考え付いた。」「明日までに開閉するための手動ハンドルを製作し、届ける。」と言う。

 4月8日午前10時、東海工業が届けてくれた厚手の鉄板を加工した十字形をした2mほどのハンドルを持ち、第4次解放隊は出発した。
 小高区役所職員、自衛隊員、私に加え、竹野光雄議員も同行してくれた。

 閘門を上下させるギアボックスをそっくり外し、急ごしらいの十字ハンドルで力任せに開けてしまう作戦である。

 ギアボックスは、モーターが付いていることもあって200㎏を超える。吊り上げたり、支えておくための仕掛けは全くない。
 工具か足りずに、あるだけのもので悪戦苦闘をしてギアボックスを外す作業を、私と竹野議員が担った。
 ゴドンと外れたギアボックス。配線の束で下までは落ちなかったものの、すぐ脇の下は5mの水面。こわかった~~。

 ギアボックスを外した。もう過負荷時のクラッチは無い。
 自衛隊員が全力でハンドルを回す。海口閘門は上がった。上がることが分かった。成功。

 南側20㎝、真ん中6㎝、北側20㎝だけ開けておくことにした。それだけで、水はどんどんと海に流れていく。
 その以上開ければ、津波被害者が海に流出してしまう恐れもある。

 その後、何日も置かないで農水省などから借りた移動式大型ポンプも使いながら、井田川地内の全ての水を抜いた。
 ポンプを回すエンジンの給油のために、区役所職員が昼夜交代でがんばってくれた。

 行方不明者の捜索がようやく実現できるようになった。
 行方不明者捜索は、狭い水路やヒューム管の中まで進め、考えられる全ての場所に及んだ。

 徹底捜索だけは終えたその後、現在も小高区役所職員が、潮位にあわせて海口閘門の開閉をしている。
 しかし、移動式大型ポンプは取り払われた。2つの湛水防除施設は津波で破壊されたまま、復旧に手がかかっていない。
 井田川地内全部と、その上流の一部は水浸しに戻った。

 4度に及んだ宮田川海口閘門開放作戦途中、私たちは2遺体を発見している。浦尻で男性と思われる1遺体、下蛯沢で生後間もないであろう赤ちゃん1遺体。
 どちらも、そこに吸い寄せられるように近づいて、私が発見した。

原発事故さえなければ、生きているうちに発見できた人も・・・・・・・・。

なじょしてる通信 №219

№219 2011年12月 4日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


12月補正予算 82億円を追加
 5日から始まる12月定例議会に提案されているのは、議案32件(条例関係10件、決算関係12件、予算関係8件、その他2件)、報告1件です。
 一般会計補正予算では震災・原発災害対策、除染、遺児等への支援、警戒区域施設の災害調査などの災害関連第9次補正予算が中心です。
 補正額81億8,922万円を追加し、歳入歳出総額を581億1,890万円にするとしています。

主な予算は 
 ・復旧・復興積立金 1億9,825万円
   早期復旧・復興を推進のために復旧・復興義援金を積み立てる。

 ・震災遺児等支援基金積立金 6,005万円
   親を亡くした子どもたちに支援金を支給するため、寄付金を積み立てる。
   18歳に達するまでの間に、6歳まで20万円、7~15歳に30万円、16~18歳40万円を毎年支給する(本年度支給  は63人に1,910万円)。

 ・集会施設整備補助 897万円
   震災で被災した8集会施設改修の補助(警戒区域外)。

 ・震災追悼式開催 219万円
   2012年3月11日に開催予定。

 ・生活圏除染事業 22億6,354万円
   市内除染作業委託経費(警戒区域を除く)。

 ・除去土壌仮置き場設置管理 3億1664万円
   原町区、鹿島区分の7区画(各1,000㎡)。

 ・除染効果試験 1,864万円
   本格的除染に先立ち、特定避難勧奨地点の一部34世帯での試験。

 ・文化センター解体工事 1億3,300万円

 ・汚染畜産堆肥仮置き管理保管 4,339万円
  現在の貯留量5,000㎥。

 ・震災等対策特別資金信用保証料補助追加 2,500万円

 ・臨時小学校開設事業追加 2,912万円
   送迎バス運行。仮設ハウス・トイレ。

 ・臨時中学校開設事業追加 180万円
   備品移動経費。仮設ハウス・トイレ。

 ・農地・農業用施設復旧 31億4,699万円
   小高区ため池等測量設計。小高区を除く農地除染等。

 ・排水機場復旧(小高除く) 1億9487万円

 ・市道などの復旧 6億7,392万円
   原町・鹿島の工事44ヶ所。警戒区域の設計委託174箇所。

 ・公園等表土改善 8,571万円

 ・校庭等表土改善 5,914万円

 ・学校遊具等除染 2,950万円

 ・生涯学習センター除染 2,154万円

 ・防災行政無線復旧追加 1億5,265万円

 ・小高区役所復旧工事 5,582万円

一の 一般質問 8日の1時すぎから?
 12月議会の一般質問は、8~12日に予定されています。
 私の質問は、第3番目となり、12月8日午後1時過ぎからになります。

私の質問通告の内容は、
 Ⅰ.市民に寄り添った被災対応を
 Ⅱ.市長の政治姿勢に疑問
での、質問通告をしています。

なじょどがしたい宮田川海口閘門③
 その後の私一人での単独調査は、6号国道を浪江町まで南下し、幾世橋から浦尻に入り、海岸堤防の大破損が無いことを確認して、終わった。

 市役所に戻った後、海口閘門の操作を担っていた方や、工事の設計施工にかかわった業者に連絡を取りました。


 海口閘門は、電源がなくても手動で開閉をできること。手動での開閉操作方法の手順も教わった。
 閘門開放は、単独行動と言うわけには行かない。小高区役所長と対策を練った。

 小高区役所長の強い要請を受けて、自衛隊が協力してくれることが決まった。
 決行日は3月27日だったと思う。

 小高区役所長と私、自衛隊員、総勢10人ほどが防護服に身を固め、自衛隊の2台の車に分乗して出発。
 下蛯沢の宮下 一さん宅前からはガレキで進めないために、ここからは徒歩。

 徒歩での走破ルートは、単身調査で承知している私の先導で進んだ。海岸堤防の所まで到達すると、後は楽な進軍となった。すさまじい津波の傷跡を背景の太平洋は、穏やか。

 海口閘門の手前のフェンスは大きく捻じ曲げられており、開閉操作場まで登る階段をふさいでいる。全員がフェンスを避けながら操作場まで登った。

 太田一俊さんに教えられていた手順に従って、ロックをはずし、閘門開閉手動ハンドルを回す。
 ハンドルは予想に反してそれほど重くなく回る。海口閘門がゆっくりと上がり始めた。いよいよ開放だ。
 5㎝ほど上がったときに、ハンドルにまったく抵抗がなくなった。カラカラと回ってしまう一方、閘門の動きは止まったままとなる。
 3門の門扉ともに、5㎝上がった位置で空回りになる。

 携帯電話は圏外で通じない。操作を熟知している太田さんに連絡を取ることはできない。
 閘門をいったん下げては再び上げる。また5㎝で空回り。
 また下げる。上げる。5㎝でストップ。また下げる。上げる。5㎝で空回り。3門ともに同じ。

 上げ、下げを10数回繰り返したであろうか。5㎝以上は上がらないままで、自衛隊から帰還時間を告げられる。約束された帰還時間までわずかしかないという。
 海口閘門は5㎝の開放でも、かなりの水量が海に出て行くことが確認できる。それだけ川の水位と海の水位差が大きいのだ。それを確認して、この日の作戦を断念。撤収。

 海口閘門に後ろ髪を引かれながらも、再び私が先頭に立って帰路を急ぐ。
 風向きは西から東だ。息苦しいので、私はマスクをはずした。


 海口閘門から約400mは堤防の上。海を眺める余裕もなく、急ぎ足で堤防の上を歩いた。堤防を歩き終える直前に、騒ぎが起きた。

 後方約70m地点で、自衛隊員の一人が立ち止まっている。それも膝をつき、片手をこちらに伸ばし、手のひらを上げ下げしている。声は出ていないが、「待ってくれ。助けてくれ。」の動きだ。

 すぐに自衛隊員4名が戻った。両腕を抱えれば進むことができた。
 二十歳(はたち)をわずかに過ぎた若い隊員。原発から10.5㎞の作戦。
 自らの考えだったのか、家族からの進言だったのか、マスクを3枚重ねて付けていた。

 急ぎ足で先導したことを反省・・・・。
プロフィール

watanabekaniti

Author:watanabekaniti
▼1953年(昭和28年)
耳谷生まれ 57歳。
相馬農業高校農業科、福島農業短期大学農業科卒業
▼資格 農業改良普及員。 
▼福浦農協、小高町農協、そうま農協で営農指導員として勤務し、4年前に退職。
▼1972年豊かな農村を創りたいと願い、日本共産党に入党。
小高町連合青年団事務局長 
県農協労連副委員長を歴任。 
▼町・市議会議員30年。

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