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なじょしてる

№208 2011年 9月 9日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


9月議会の日程は
 大震災と原発事故対策中心の定例議会になります。その中では、今年度当初予算で計画したものの実施できない予算の整理もされます。2010年度の企業会計決算審査もあります。
  8日 本会議(議案の提出及び説明)
 13、14、15日 本会議(一般質問)
 16日 本会議(一般質問、議案質疑、委員会付託)
 20日 各常任委員会【一は建設経済】
 21日 決算審査特別委員会(企業会計)
 27日 本会議(委員長報告、質疑討論、表決)

一の一般質問は
13日の11時から? 
 9月議会の一般質問は、13~15日に予定されています。
 私の質問は、第2番目となり13日11時前後からになります。

私の質問通告の内容の半分は、小高区などの警戒区域の対策に徹底してこだわったものとします。
Ⅰ.住民が戻れることを確信できる警戒区域の復旧・復興具体的計画を 1.基本理念、姿勢が欠落しているのでは
  ① 市長自身の方針が見えない。明確な姿勢を求める。
  ② 警戒区域だからと、遅れを容認しているのではないか。
  ③ 一部の部署に方針も対応も任せきりになっているのではないか。
 2.地震、津波からの復旧をどうする
  ① 湛水防除施設、河川などの排水対策は。
  ② 住宅、住宅地の復旧は。
    ③ 農地を含む産業基盤の復旧は。
  ④ 道路を含むライフラインの復旧は。
 3.放射能汚染からの復旧は
  ① 汚染実態調査(宅地、土壌、河川、地下水等全般にわたって)と汚染マップ等での住民周知は。
  ② 除染対策は。
  ③ これらの前提となる空間線量率計、積算計を全員に配布することを、今から実施せよ。
 4.住民の心の復旧は
  ① 確信を持って戻れることをどのように伝えていくか。
  ② 警戒区域全住民が集える対応を。
Ⅱ.震災被災・原発事故被害からの当面の救済策は
 1.すべての住民にかかわって
  ① 全世帯に線量計の配布を。
  ② タクシーを使ったデマンド交通システム実施を早急に。
  ③ 一部損壊住宅補修に対して市の助成制度を。
  ④ 除染費用(本人人件費を含む)は全額賠償させること。
  ⑤ 原発被害の賠償・補償相談(指導)の市窓口を設置すること。
  ⑥ 老人福祉での入所施設の拡充整備をすること。
 2.長期に及ぶ避難生活を少しでも快適にするため
  ① 仮設住宅は実態に則した改修対応を速やかに(段差、手すり、インターホーン、ひさし、BSテレビ等)。
  ② 仮設住宅住民とその周辺住民との交流の場をつくること。
  ③ 警戒区域自宅保管の米、味噌などの持ち出しをさせること。

なじょしようもなかったその日
 3月11日南相馬市議会本会議は、竹野議員の一般質問中でした。突然の揺れは収まるどころかどんどん激しくなり、傍聴席からは悲鳴が続きました。
 私は机にしがみつきながらイスに座っていましたが、天井の照明器具は落ちないだろうかと観察していました。地震が収まった直後、議会は休議になりました。議会事務局は机、イス、ロッカーは元の位置にはなく、散乱した書類もあって足の踏み場がありません。
ごめんなさい
 とんでもない地震であることを確信した私は、まず家族の安否、近所の方々、特にお年寄りの安否確認のため、自宅に戻ることにしました。
 市役所の玄関を出るときに「大津波情報がでた。」との声を聞きながら、旧国道を通り、自宅を目指しました。屋根が壊れている家、塀が倒れてしまっている家が続きます。徐行しながら様子を見ますが、呆然としている人はあっても、すぐに命にかかわるような状況ではないと判断し、心の中で「ごめんなさい。」と叫びながら、車を走らせました。
安否は 
 自宅には誰もいませんでした。後で分かったことですが、母は隣のばあちゃんとともに高台に避難していたそうです。書斎の4面の天井まで本棚にしていたほとんどの本は床に落ち、足の踏み場がないどころか、本が引っかかって戸が開かない状況でした。
 チイ子さんもいませんでした。ずっと後になって知ったことですが、と言うよりも忘れていたのですが、相馬市に重税反対集会(集団申告)に行っていたそうです。
 片付けは後回しにすることにして、即刻、根本民子さんから、順番に安否確認をしていきました。皆さん、無事でした。
行方不明?
 阿部貞伊さんのお宅では、大きな声で何度も呼ぶと、家の後ろから返事をしながら現れました。後から新聞では貞伊さんは行方不明者になっていましたが、元気だったことを皆さんに伝えました。
 津波にのまれたと多くの方が心配されていた井戸川里子さんには、翌日早朝に桃内倉庫跡で会っています。この無事も皆さんに伝えました。

 今日の報告はこの程度にとどめておきます。
ところで、震災1週間後から、私の家の今年分の保険掛け金を支払っていたかどうか、契約が継続されていたかどうか、心配になりました。混乱していた時でしたから、確認もできませんでした。
 さらに3日後、『我が家(築80年)は、石の門柱の1本が倒れただけで、無傷でした。地震の被害も津波の被害も免れました。』ことに気が付きました。
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プロフィール

watanabekaniti

Author:watanabekaniti
▼1953年(昭和28年)
耳谷生まれ 57歳。
相馬農業高校農業科、福島農業短期大学農業科卒業
▼資格 農業改良普及員。 
▼福浦農協、小高町農協、そうま農協で営農指導員として勤務し、4年前に退職。
▼1972年豊かな農村を創りたいと願い、日本共産党に入党。
小高町連合青年団事務局長 
県農協労連副委員長を歴任。 
▼町・市議会議員30年。

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