FC2ブログ

なじょしてる通信 №211

№211 2011年10月 1日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


緊急動 原発賠償手続き意見書
 9月12日から東京電力の原発事故損害賠償の請求手続きが開始されましたが、多くの市民から不満が寄せられていました。
 議会最終日に議員提案による「原発被災損害賠償手続きに関する意見書(案)」が提出され、全会一致で議決されました。
◎ 意見書の要旨 
 損害賠償請求書は、建物、土地などの財産価値減少や除染費用賠償が明記されておらず、請求書・説明資料が膨大であり、被災者に多大な労力を強いる内容である。
 その上、領収書原本提出を求められ、後に泣き寝入りの原因になりかねない。さらに、加害者である東京電力が被害者に対して金融機関に情報開示を認める同意書提出を求めたり、請求は1回限りとするなど、とうてい被災者の立場に立ったとは言いがたい。
 よって国は被災者救済の原点に立ち、東京電力に対して下記の指導をすることを強く要請する。
        記
1.原発被災損害賠償請求手続きは、もっと簡略化すること。
2.同意書にある金融機関等の情報開示は求めないこと。
3.「同一補償対象期間における各補償項目の請求は、1回限りとすること」の確認事項を削除すること。
4.原発被災損害賠償手続きは、被災者の立場に立って行なうこと。
提出先:内閣総理大臣、文部科学大臣、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣

南相馬市原発建設方針 具体的に踏みだす
 9月議会閉会直後の議会全員協議会で、「南相馬市の原子力発電所等に関する方針」が示されました。これまでの市長発言などを整理したものですが、浪江・小高原発建設中止や県内全ての原発の廃炉を求めるなど、具体的方針を明確にしています。
 以下、その要旨です。
浪江・小高原発は建設中止
 今回の原発事故により、原子力発電の安全神話が崩壊し、合併協定項目に記載されている「地域住民の安全確保と環境保全」が保障されなくなった。このようなことから本市としては、新たな原発建設を認めないこととし、現在計画されている浪江・小高原子力発電所についても建設中止を求めていくこととする。
福島第一・第二は廃炉を 
 本市として脱原発を明確にするため、福島第一原発事故の早期収束及び福島第一・第二原子力発電所内で運転を停止している原子炉についても速やかに廃炉に向けた対応を強く要望していくこととする。

議会では踏みだせず!
 南相馬市が内外ともに脱原発を明らかにし、浪江・小高原発建設中止と県内原発全炉の廃炉を求めていくためには、議会の意思も明確にしていくことが必要です。
 議会としての意思は、「1973年の小高町議会での『原子力発電所誘致決議』があり、合併協定で『新市においても現行どおり引き継ぐ・・・』がある。」ことから、原発誘致は生きていることになります。
 9月議会に提出された「県内全ての原発を廃炉とし、浪江・小高原発予定地は自然エネルギー基地に転換することを求める『陳情書』」は、継続審査となり、結論が先送りにされています。
 議会として、市民の思いを明確に示していくことが、早急に求められています。
 竹野光雄議員の「議会は意思を示していない。補助金が減ることへの対応をどうするのか。」などと、本質を踏みはずしているとしか思えない発言には、驚きました。

なじょどがしたい 3月13日
 3月13日、小高赤坂病院の事務長が小高区役所に来て行ったと聞きました。「避難しようにも、行き先も行く手段もない。何とか市での対応・援助を求める。」というものでした。区役所では、「なんともならない。」と苦渋の返答をせざるを得ませんでした。
 3月14日、私と竹野議員で赤坂病院に出向き、病院長と会いました。「行政の力では、今は避難をさせる手立てがない。自力で脱出してください。それまでの間、不足するものだけでも、手配します。」と、伝えるのが精一杯でした。
 区役所に戻った私は、ありったけの物資を赤坂病院に届けるので、用意するように頼みました。
 ダイユーエイトにあった大量のペットボトルの水は、津波で外側が汚れましたが、全て区役所でいただいていました。区役所職員が寒さの中で全部きれいに洗ってくれました。
 ペットボトルの水、米、缶詰、カップめん、紙おむつ等々、2台の車を山にして赤坂病院に届けました。「何とか、これでしのいでください。」と言うのが・・・・・・。

 後日、聞きました。赤坂病院の患者は、東京都立松沢病院などに全員無事に避難したということです。しかし、その何日か後にお亡くなりになった方もありました。後移送中の体力消耗が激しかったと思うのですが。

 3月12日と13日は、小高区役所のロビーの床に防寒着を着たまま寝ました。大型テレビをつけっぱなしで。
 その間、チイ子さんたちは、どこにどう避難したのか全く分かりませんでした。
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

watanabekaniti

Author:watanabekaniti
▼1953年(昭和28年)
耳谷生まれ 57歳。
相馬農業高校農業科、福島農業短期大学農業科卒業
▼資格 農業改良普及員。 
▼福浦農協、小高町農協、そうま農協で営農指導員として勤務し、4年前に退職。
▼1972年豊かな農村を創りたいと願い、日本共産党に入党。
小高町連合青年団事務局長 
県農協労連副委員長を歴任。 
▼町・市議会議員30年。

最新記事
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア2

検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示