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なじょしてる通信 №214

№214 2011年10月29日発行 
日本共産党 南相馬市議会議員 議会報告
 小高区耳谷小泉23 渡部一
℡(当面)26-5002  携帯 090 2993 1471


小高工高、小高商高 南相馬市に仮設校舎
 現在、県立小高工業高校と県立小高商業高校は相馬市仮設校舎や県内に散らばってサテライト校などで授業をしている。
 1箇所に集中した仮設校舎対応を検討していた関係機関は、南相馬市に移転することで、最終調整に入っています。
 その概要は、次のようになっています。
 1.移転の内容
    小高工業高校 仮設校舎2棟
   小高商業高校 仮設校舎1棟
 2 .移転の場所
    南相馬市サッカー場(原町区高見町1-5)⇒新田川のすぐ南で、6号国道のすぐ東側
 3.スケジュール
    1月上旬に仮設校舎の工事着工
    2012年4月から、新場所での高校再開

一の一般質問③ 
 私の一般質問は、9月13日に行いました。内容の要旨の続きの続きです。

戻れることを確信できる警戒区域の復旧・復興計画を
農地を含む産業基盤の復旧は
【質問】農地、農業用施設や、工業基盤の復旧をどうするのか。
 その被害実態すら、よくつかめていない。被災実態を調べ上げ、復旧の具体的計画を示しておくことが必要だ。
【答弁】農地は、除染対策等多くの課題がある。
 当面は、防波堤や湛水防除施設の復旧を最優先に進める。農地等の生産基盤は、地権者と相談して復旧計画を構築する。
 工業関係は、地震・津波の被害は少ない。放射線量が低い地域は、操業再開を認める警戒区域の見直しを国に要請している。
【質問】調査状況、具体的計画を今時点から市民に示しておくことが大切だ。

道路、ライフラインの復旧は
【質問】 道路、上下水道、電気のライフラインは、警戒区域が解除になった後、何日で復旧することができるのか。
 その見通しを市民に示しておくべきだ。
【答弁】 現在、市職員で被害調査を進め、応急補修が必要な所は、計画的実施を準備している。
 国、県は災害査定等を実施しておらず、予定も示されていない。
【質問】 電気、上下水道を含め、警戒区域解除後は何日で復旧できるのか、市民に示しておくべきだ。
【答弁】 上下水道の末端までは、6ヶ月程度を要する。道路は調査中だが、解除後は速やかに復旧に入れるように設計等の準備をしていく。

放射能汚染からの復旧は
実態調査と汚染マップの住民周知は
【質問】 9月1日に、警戒区域の放射線量調査結果が文科省・経産省から発表されている。しかし、傾向が分かる程度に過ぎない。
 毎日住み続けることになる住宅、宅地の詳細な実態、農地、森林の線量と汚染の実態、河川や地下水の汚染の実態は、知らされていない。
 今の時点から調べ上げ、住民に周知することが必要だ。
【答弁】 地下水を含め、市独自にも調査をしてきている。
 調査結果を市民に分かりやすく、見やすいマップを提供するようにしたい。
《以下、次号に続く》

なじょどがしたい 3月16日  塚原のMさんの家族が行方不明。草加市に住むMさんの兄弟も捜索に来ていた。
 しかし、20㎞圏内の立ち入りもできず、ガソリンが無くて草加市に帰ることもできず、原町区内のホテルに身を寄せていた。
 ホテルに行って状況を聞いた私は、二本松市に住むJA職員の友達に電話をかけた。
 何とか2,000円分ガソリン券を譲ってもらうことが可能となった。Mさん一行は草加市に向かった。
 後ほどMさんから連絡がありました。二本松のJAガソリンスタンドでは、Mさんが来るまで閉店せずに待っていてくれた。少し余ったのでと、ガソリン40リットルを入れてもらったとか。無事に草加市に到達できたとのこと。

 とにかく、ガソリンが無い。避難を呼びかけても、動きがとれない人がたくさんいる。
 国レベルでの対応で、20キロリットルタンクローリー4台分のガソリンが手配できた。
 しかし、一難去って、また一難。東京から本市に向かったはずのローリー車は、郡山市のトラック団地でストップしていた。これ以上は1mも前に進まないという。

 「放射能汚染地区には、近づかない。」と東京からの運転手が主張。危険物取り扱いの資格者と、大型けん引免許を持ってる者が来れば、車ごじら渡すという。
 対策会議で市長が、「誰かいないか。」と叫ぶ。心当たりの市内有資格者は、すでに避難していて手配が付かない。
 私は即刻「何とかなる。」と応えた。

 会津若松市のチイ子さんの実家に避難している小高区村上の坂本廣さんは、ありとあらゆる資格を持っている。坂本さんに何とか携帯電話がつながった。
 危険物取り扱いの資格も大型けん引免許もあるという。事情を話したところ、即、引き受けてくれた。
 そうこうするうちに、新たな運転手は田村市から手配ができた。しかし、危険物の資格者はいないという。やっぱり坂本さんの出番だ。
 さらに一難。坂本さんは避難するときに、家族と合流した原町区上北高平の青田酒店に車を置いてきており、その車に資格証が入っているという。

 青田酒店の駐車場に、坂本さんの軽乗用車は確かにあった。でも、鍵がかかっている。
 なんどもなんども携帯電話をかけるが、つながらない。15分後、つながった。もう坂本さんは、危険物資格証コピーのファックス受信を、会津若松市役所湊支所で待っているという。車のキーは、会津にあるという。

 青田酒店の周辺を物色したところ、鉄骨でできたへんてこな枠を見つけた。軽乗用車の一番小さな窓ガラスを枠で打ったが、なかなか割れないものだ。3度目に割れた。
 分厚い資格証等の束の中から危険物取り扱い者証が見つかった。
 市役所に戻り、すぐにファックス送信。経済部長に報告。その際、軽乗用車の窓ガラスを割ったことも報告した。修理代は自腹を覚悟していたので、修理代のことは口に出さなかったのだか、部長から「市で修理代を持ちます。」と、返事が返ってきた。

 私も応援して、各ガソリンスタンドにガソリンを入れ終わったのは、深夜11時過ぎ。雪がちらつく寒い中での作業で、身体は冷え切っている。
 無事に任務を終えた坂本さんを、会津若松市に送っていかなければならない。
 八木沢峠の手前まで行った時に、市長公室から電話が入った。タンクローリー車の運転手を郡山市まで送っていって欲しいというもの。運転手たちは夏タイヤを承知の上、命がけで雪道の八木沢峠を降りてきていた。空荷になったローリー車で八木沢峠を登るのは無理だと判断していた。私は市役所に引き返した。

 郡山市までの車中で、運転手の皆さんからいろいろと話しを伺った。
 ある方は南相馬市に行くということで、家族と水盃を交わしてきたという。
 けん引運転免許は持っていたが、けん引車を実際に運転したのは始めてだった方は、八木沢峠で・・・・・。
 彼らの強い使命感に、心から敬意を表する。

 会津若松に着いたのは、午前3時近く。居間のコタツに足を突っ込んで、多くの人が寝ていた。坂本さんと私は、何とか隙間を見つけて眠りに付いた。

 17日に、無料でガソリンを入れた車は、5,000台。
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ご無沙汰しています

こんにちは。
今から25年ほど前に家族でお邪魔して、竹藪で竹を頂き兄と弟は竹刀のすぶりをし、瓦までいただきました。
北海道の悟郎の孫娘です。ご無沙汰しています。
震災の時は気が気じゃなくて、実家の父がみんな避難したみたいだと教えてくれた時は本当にホッとしました。
ご家族のみなさんはお元気でしょうか。
いつかまた、必ずあの時遊んだ海に行きたいと思います。

お身体に気を付けてお過ごしください。
プロフィール

watanabekaniti

Author:watanabekaniti
▼1953年(昭和28年)
耳谷生まれ 57歳。
相馬農業高校農業科、福島農業短期大学農業科卒業
▼資格 農業改良普及員。 
▼福浦農協、小高町農協、そうま農協で営農指導員として勤務し、4年前に退職。
▼1972年豊かな農村を創りたいと願い、日本共産党に入党。
小高町連合青年団事務局長 
県農協労連副委員長を歴任。 
▼町・市議会議員30年。

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